僕らは2週間に一度、ミサに行く

ようなもんだとおもうよ。勝ったとか負けたとか、そんなことより、前の試合から今日まで、こんなことがありました、こんな嬉しいことがありました、こんな悔いがあります、そういう告白をして、反省をして、場合によっちゃ元気をもらって、また次の一区切り(来週なのかもしれないし、すぐ次の水曜日なのかもしれないし)をがんばろう、とおもう。そういうことの繰り返しだと思う。だから(だから?)ぼくは不器用だから二つも信仰を持つことはできなくて、どうしたってフットボール教、F東京派、なんだと思うよ。どんだけ愚痴を言ってもそれは変わらない。浦和派の人たちは楽しそうに帰っていったけど、悔しくはないんだ。宗派は違うけど、同じ宗教の信徒だから。変な言い方だけど。そんな気持ち。信じるもの、信じられるものは自ら選び取ったものだけだと思うのね。知らないうちに選び取っていたのかもしれないけど、でも、選んだんだと思う。だから、選んでもいないものについては、ものすごい拒否感を持つのは当然だと思う。それを押し付けちゃダメだと思うし、自分を守らないといけないと思う。迷ったときに、本当に自分はそれを選んだのか、もう一回見つめ直さないといけないと思う。そんなことも必要だとおもう。